大喝采浴びせたくて

ナチュラルにとつかくん!

Defiled 守りたかったものとは

ディファイルド観ました。
大阪公演の初日5月10日と千秋楽5月12日の2回。
Defiled -ディファイルド-」気高く・神聖なものが汚されること
 
図書館に爆弾を仕掛けて立てこもる男ハリーとそれを説得する刑事ブライアンのお話。
 
非常に考えさせられる舞台でした。
 
図書館のカード目録が破棄され、コンピュータの検索システムに変わることに反対し、図書館もカード目録も自分諸共爆破しようとしている。
冒頭のシーンではハリーが爆弾をひとつひとつ丁寧に本棚へ置いていく。カード目録の棚に足をかける際はわざわざ靴を脱いで乗っていて、カード目録への敬意が表れていた。
ブライアンがカード目録の引き出しを開ければ丁寧に閉めていく。ブライアンが取り出したカード目録を大事そうに引き出しに戻したり。それは確かに守るべき大切なものだった。
しかし、中盤からハリーはカード目録の棚に座るようになったり、感情的になると土足でカード目録の棚に飛び乗る姿は冒頭のシーンでは考えられない光景だった。
 
私はハリーが本当に守りたかったものは"カード目録そのものでない"ということに気付くには少し時間が掛かりました。
 
正直、どうして図書館に立てこもってまでカード目録を残したいのか、コンピュータで便利になることへの不安だったり、街の景色の変化に抵抗したり。でも自分の命を犠牲にしてまで守りたいものなの?そこが全然理解できなくて。愛ゆえの行き過ぎた行動だったとしてもやっぱり理解しがたい。
 
 
観劇後もモヤモヤしながら劇場のあるブリーゼを後にしました。
頭の中を整理したくて近くにあったスターバックスへ立ち寄り「ハリーに怒られちゃうね」なんて言いながら、友人と感想を共有し合った。
奇しくもスターバックスのカップが手書きからシールに変わっていて、
私はハリーのことを思い出して少し切なくなった。
 
 
その日、帰宅して寝る前にパンフレットを開きました。
勝村さんのインタビューを読んで頭の中のモヤモヤがスッと軽くなった気がしました。勝村さんの言葉のセンスがいいなぁ。戸塚くんもそうなんだけど、ワードセンスがある人がたまらなく好きなんだと思います。
 
 
 これは答えのない戯曲だという。
 最近はどこの駅にも同じ商業施設があってそれが普通だけど昔は違和感があった。ハリーはそういう違和感をほっとくと「世界が同じ景色になる恐怖」なのだということ。
 僕らは違和感に鈍感になっていく。
 
 
そもそも現代で生きている私がハリーを理解しようなんて、そんな簡単なものじゃなかった。
便利な時代に生きている。街の景色に違和感を感じることもない。
そして私はコンピュータがないとできない仕事をしている。今の時代そういう人は少なくないだろう。ハリーが命を懸けてまでかたくなに守り続けたもの、神聖なものがあったその時代に、私が今している仕事はまだなかった。私は所詮、便利に進化し続ける時代に順応して生きている。…そらそうだ!笑(現実に戻りました)
 
 
2回目はハリーのことをおもって泣いてしまうかもしれないと思いましたが、涙は出ませんでした。やはり何故自分の命を犠牲にしなければいけなかったのか、人の命を巻き込むような人間ではないと思っていたが、極限まで追い詰められると躊躇なく起爆装置を押していた。
もし起爆装置が作動していたら近くにいたブライアンまで吹き飛んでいたんじゃないか、と考えるとどうしてもハリーのことがわからなかった。
 
「なにがテクノロジーだ」
 
誰からも理解されない、テクノロジーにも見放される、とても悲しい結末だ。
 
 
独特な緊張感だったり間があったり、ハリーにはハラハラさせられたけど、ブライアンのコミカルさに笑いがおきたり絶妙なバランスなんだろうなぁと思いました。
 
 
シーン展開のない2人芝居、重くなりすぎず、飽きさせない、演出が見事でした。
 
 
戸塚くん、お芝居さらに上手くなっているなぁと感じました。今まで観てきた舞台ではどの役もふとした瞬間に、あっ戸塚くんだ…ってなる事があったのですが、今回は完全にハリーだった。そこに戸塚祥太はいなかった。
だからなのか、カーテンコールで出てきたときの戸塚くんの笑顔に救われたというか、「これは戸塚くんだ」と確認する作業は新鮮でした。
 
 
戸塚くんが勝村さんと演出家のスズカツさんに出会えたこと、お二人から得たものは偉大だと思います。
これからの戸塚祥太のお芝居、俳優としてのお仕事が楽しみです。
 
 
あと残り福岡の2公演、無事に大千秋楽を迎えられますように。